信用創造

 

 

○信用創造

 

 

市中に出回っているお金は、紙幣の発行残高の10倍以上あります。

 

 

紙幣以外の部分は、信用創造によって生まれているとされています。

 

 

信用創造の定義を見ると、以下のようになっています。

 

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1.A銀行は、X社から預金1000円を預かる。
2.A銀行は、1000円のうち900円をY社に貸し出す。
3.Y社は、Z社に対して、900円の支払いをする。
4.Z社は、900円をB銀行に預ける。

 

この結果、預金の総額は1900円となる。もともと1000円しかなかった貨幣が1900円になったのは、上記2.の結果として、Y社が900円の債務を負い返済を約束することで900円分の信用貨幣が発生したことになるからである。この900円の信用貨幣(預金)は返済によって消滅するまでは通貨(支払手段)としても機能する。このことはマネーサプライ(現金+預金)の増加を意味する。

 

さらに、この後B銀行が貸出を行うことで、この仕組みが順次繰り返され、貨幣は増加していく。このように、貸出と預金を行う銀行業務により、経済に存在する貨幣は増加する。

 

-----------------wikipediaから引用------------------------------

 

 

負債と資産の関係にあるように、

 

現行の貨幣総額は、負債総額と一致しています。

 

銀行の預金貸出率に制限が無い場合(100%貸せる場合)かつ、

 

紙幣をたんす貯金する人がいない場合、

 

信用創造は、原理的には無限大に発生します。

 

 

実際には、銀行には「法定準備」制度があり、

 

預金のうち一定額を残さなければいけないため、

 

銀行を経由するたびに「法定準備分」が逓減していくため、

 

信用創造は、限界値があります。

 

貨幣乗数という架空

 

経済学の主流見解では、

 

マネーストック(流通通貨量)=マネタリーベース(紙幣+α)×貨幣乗数

 

の式により、 マネタリーベースが増えるとマネーストックが増えるとされています。

 

学説に基づき、2013年からは、日本銀行がマネーサプライの供給を増やしていますが、マネーストックはなかなか増えていきません。

 

この政策はなぜうまくいかないのでしょうか?

 

 

 

ここで、上記の式に出てくる貨幣乗数の定義を確認してみると、

 

その定義はなんと、「マネーストック(流通通貨量)/マネタリーベース(紙幣+α)」なのです。

 

つまり、学説の数式は自家撞着になっていて、何も意味がない式になっているわけです。

 

 

 

私たちは、○×△=□のような等式を見たとき、

 

左辺と右辺の合計さえ同じなら、○△□のどれでも弄れるかのように錯覚します。

 

ですが、現実世界に数式を当てはめるときには、因果関係(一方向相関関係)があり、

 

今回の場合も、「@マネーストック(流通通貨量)/Aマネタリーベース(紙幣+α)=B貨幣乗数」

 

この式は、@とAからBを導くことしかできず、

 

Bを変数にしたり、Aを変数にすることはできないわけです。

 

 

 

このような原始的な論理学的な間違いをノーベル賞級の学者でも犯してしまい、

 

ほとんど誰も気付かないまま来ている、ということです。

 

一旦権威化されてしまうと、周囲はそれを疑うこともしなくなる良い例といえます。

なぜこのようなミスが野放しになるのか?

 

なぜ、このような簡単なミスが数十年か〜数百年間も野放しになるのでしょうか?

 

それは、学問を司るとされる、「大学、研究機関」といった組織が権威によって支配されているからです。

 

一般に、学問の世界では「大学、研究機関」といった組織が中心となり、研究し、論文等の形で情報を発信しています。

 

企業における研究も同様です。

 

 

これらの組織を詳しく見てみると、

 

一般の役人、会社組織と同じように、構成員にヒエラルキーが構成されています。

 

また、一般の役人、会社組織と同じように、お金の動機が発生しているのがわかります。

 

研究費を稼ぐために、給料をもらうために、活動している側面があるわけです。

 

そして、研究費や給料がどこから来るのかといえば、

 

それは、政府であり、大学組織であり、社長であり、株主です。

 

 

つまり、身分を保ちお金をもらうために、上に逆らえない構造は、一般社会となんら変わりがないのです。

 

 

 

お金を与えている側の視点から見ると、お金にならない研究や、都合の悪い研究はさせたくありません。

 

逆に、お金になったり、都合よく使える研究ならば、大衆を欺けさえすれば嘘の研究でも歓迎するでしょう。

 

「勘違いだった」という巧妙な言い訳を用意しつつ、研究を指示し、研究結果を発表させるでしょう。

 

 

もうお分かりのとおり、アカデミックな世界も、政府や企業を頂点としてお金や立場で支配される存在です。

 

つまり、そこでは真実よりも処世術が重視されます。

 

出世や給料のためなら真実を隠蔽したり、見なかったことにしたり、

 

疑わしい論文や、前提を見てみぬフリをする、そんなことが当たり前になっています。

 

 

そういったことに屈しない研究者がいても、出世できないために影響力が発揮できずに埋もれ、非主流派として弾圧されます。

 

 

 

 

権威を野放しにしているのは私たち

 

そういった権威の増長を許しているのは他でもない私たちです。

 

 

権威が発表するものを、正しい、偉い、従うべきもの、と無条件に肯定し、

 

自分で考えたり確認したりしないことが、権威を支持する空気を作り出し、権威をさらに増長させています。

 

 

権威は大衆の支持なくして権威になりえません。

 

権威の暴走を作り出しているのは私たちだということを認めなくてはいけません。